ライトノベル領有権問題

ライトノベル領有権問題に関しては詳しくは下記リンク参照。
「ランドル・ギャレット論争、あるいはなぜだれも「魔術師は多すぎる!」について語らないのか問題についてのまとめ。」


6月23日のまいじゃー推進委員会さんとこで見かけて、リンク先をざっと読んでみた。
で、以下雑感。
確かにこういうことはままある話で、私も似たような経験がある。
まだライトノベルに今のように傾倒する以前、中学に入ったばかりの頃に親父殿に薦められて司馬遼太郎の「街道を行く」に手を出したことがある。
1、2冊読んでみてちょっと後悔した。
何故ならそれは、文学的蓄積が無いと理解が難しい作品だったからだ。
おもしろいことにはおもしろいんである。ただ、端々にちりばめられた多くの元ネタが分からないのである。つまらない訳じゃないのだが知っていればなおおもしろいかと思うと、もったいないことこの上ない。
要するに中学生の分際で読むのは早すぎたな、と感じた私は早々に撤退した。
考えてみれば、「坂の上の雲」も読んでない私にそんなもん薦めた親父殿が悪いのかもしれないがw


閑話休題


で、本題のライトノベル領有権問題である。
実は、私はこれと似たような経路をたどった(あるいは今もたどっている)ジャンルをもう一つ知っている。
それは、TRPG(テーブルトークロールプレイングゲーム)だ。
TRPGライトノベルのそれに輪をかけて不毛な土地だった。そこを最古参の人間が耕し、種をまき、細々と細々とつないで来た結果、日本では『リプレイ』という特殊な作品形態でもってウケ、ライトノベルの一角も占めている。
だが、今「SW」などをプレイしている若い人らは、傑作RPGWizardry」の元ネタが「D&D」だったなんて知らないだろうし、国産サイバーパンクRPG「トーキョーNOVA」の元ネタが「サイバーパンク2.0.2.0」という洋物TRPGだなんて多分知りもしないし気にも留めないだろう。
かく言う私もD&Dをプレイしたことも無ければ、サイバーパンクRPGのキャンペーンを1年くらいやったけどディクスンだとか触ったことも無い。10年以上TRPGにはまってる私がそうなんであるから、最近の若いプレイヤーさんは推して知るべし、であろう。
また、TRPGの場合書籍の場合に輪をかけて元ネタを知る努力を行うことが難しい。それら元ネタとなったシステムは入手困難だったり翻訳されてなかったりすることが多い上に、TRPGの場合は自分ひとりでは成立しないからだ。
故に結果として、『元ネタは元ネタ』として埋没していき、しばしば頑迷な古参ゲーマーと一般ゲーマーの乖離に繋がる。


なんか話が逸れた気がする。ダメだねどーも。脳内垂れ流しって事で勘弁してください。
まぁ、何が言いたいかっていうと、書評で『これは〇×の流れを汲み云々』っていう特定分野知識前提の記述は、誰が楽かっていうと知識がある人が楽なんだよねと。
作品を語るんならまだしも、書評でそれはやってはいけないんじゃないかなと。


私事ではありますが、今私は海外にいて新刊読める立場に居なくて、いろいろいろいろ*1苦しい*2んだけれどもそれを書評を読むことで癒してる部分がある。
そこでですな、新刊の書評に知らない作品の名前を挙げられても困るんですよ旦那方(笑)
書評かいてる人は誰でも知ってる作品を挙げているつもりなんであろうと思うが、この話題の発端である『ランドル・ギャレット論争』、これにした所で、私はランドル・ギャレットなんて作者は初耳だし作品名も聞いたことが無い。他の方もそうらしい


これだけ出版とかの裾野が広がりまくった今、必読書なんて言われても困る
結論としてはその一言に尽きるかな。

*1:心情的にも精神的にも

*2:ヤバめ